しまってないしなってない

内輪ネタに頼らないと喋れない俺とVTuberについて

 毎日毎日飽きもせず、別に上手くもない東方をプレイしていると高校1年の夏を思い出す。あれは間違いなく俺の現実逃避だったのだから、7年経った今もやっていることは変わらない。いや分かってんだよ、毎日の現実逃避が一歩一歩後の地獄に向かってるということに……。

 

 しかし、2014年には世界中どこを探しても存在しなかったコンテンツが2021年の日本では(まだ)流行っていて、人はそれをバーチャルユーチューバーなどと呼んでいる。自分は実況や配信文化には触れずに育ってきたから、ニコ生もTwitchも一般的なYouTuberのこともよく分からない。VTuberが登場して初めて配信文化に触れた、きっと世の中に沢山いるであろう有象無象の1人が俺である。ここで前提になっている「VTuber=配信者」の図式を苦々しく思う向きもあるかもしれないが、いわゆる「配信者」なら別に対象は何でもよい。その中で自分が唯一知っているのがVTuberであるというだけの話で、以降VTuberという単語が出てきたら、ニコ生主でもミルダム配信者でもあなたの脳内で好きなように置き換えてもらって構わない。

 

 俺だけの話ではないと思うが、東方をやっていると他人のプレイ動画も見てみたくなる。とりあえずYouTubeで「東方 VTuber」と検索してみよう。すると、まず間違いなく「Marine Ch. 宝鐘マリン」が上位に表示される。宝鐘マリンは、2021年6月時点でチャンネル登録者数が130万人を超える、正真正銘の大物VTuberである。

 

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(46:50〜)

 

 宝鐘マリンのように、ネットミームネットスラングの知識があることをそれとなくほのめかし自らの売りにするVTuberとして、名取さなの名前をあげてみたい。

 

【雑談】ポニテをお披露目しAIボイスチェンジャーと遊びまくる配信 - YouTube

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 名取さなが「サンガツ」と発言し、チャット欄で「お、Jか?」と返す一連の流れには、ネットスラングを使うキモチよさが全て表れていると言ってよい。文脈を共有していることを確認し合い「なんJ民」のアイデンティティを確立すると同時に、「今は9月だぞ」と返してしまうような「ネタがわからない」人間を排斥する。なんJ民でなくとも、「草」「古のやつやん」と返すことで「ネット民」になれるし、ひっそり「今北産業」と書き込むだけでもよい。文脈の共有による同化と排斥こそ、ネットスラング最大の肝である。

 

 これは、5ちゃんねるの掲示板やニコニコ動画の「例のアレ」タグに限った話ではない。あらゆるVTuberとそのリスナーは似たようなことをやっている。最もわかりやすい例が、月額のメンバーシップに加入することで貰えるスタンプだろう。


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サンガツ」がスタンプに、「なんJ民」がメンバーシップに名前を変えただけで、行われていることは全く同じだ。しかも、ここではお金を払わないと内輪に入れてもらうことすらできない。

 

 VTuberの配信内で生まれたネタやノリ(≒スタンプ)は「切り抜き動画」によって拡散され、切り抜きを見たリスナーは飽きもせず似たようなことをVTuberに要求する。望まれるがままに彼らは同じネタを擦り続け、また切り抜きが作られる……という終わりのないサイクルがVTuberをめぐる「内輪」の中で繰り広げられ、彼らの人格を形成してゆく。

 

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 「貧乳」「巨乳」「サイコパス」「ヤンデレ」「語尾」「年増」「百合」「カップリング」「キレ芸」……望まれるがままに定着させてきたネタたちは、食傷気味であろうと「中の人」がウンザリしていようと、もう剥がすことはできない。

 

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 その上で俺が選ぶのが、先月行われていたホロライブ3期生ワードウルフの配信である。見てごらん道化師を! 彼らはいつものように同じネタを繰り返しているのだが、どうにもぎこちなく、取ってつけたような印象がある。このぎこちなさの向こうに、VTuberの「リアル」な人格が隠されているように思える。この「リアル」は、普段彼らが生活や過去の話をすることで醸し出される「リアル」とは全く性質が異なるものだ。我々に「見えて」いる時点で、そのような「リアル」は内輪ネタによる安易なキャラ付けと本質的には大差がない。「リアル」は、決して目に見えないのだ。そして「バーチャル/リアル」の人格が分裂しかけているワードウルフ配信のような状態こそ、無際限にネタを取り込み続けるVTuberたちの最終形態と言えるのかもしれない。

 

 初めに書いたように、これは何もVTuberに限った話ではない。あらゆる配信者やTVタレント、さらには我々じしんすらも、他人(自分)の視線によって分裂させられ、架空の人格を作り上げられている。我々が生きる言語と視線の世界は、ある意味、というかまさしくバーチャルリアリティの世界である。人は皆VTuberなのだ。

 

 言ってみれば至極当たり前なこの事実は、TVやインターネット、SNSの発達によってより一層顕在化したと考えられるのかもしれない。その時、我々は内輪ネタによって「共有の架空の人格」を作り上げ、そこに自らを委託してキモチよくなる。現在のインターネットには、「サンガツ」「〜ぺこ」といった架空の言語を話す架空の人格が蔓延っている訳だ。

 

 「俺」もまた同様である。この短い文章にたびたび登場する一人称の「俺」は、必ず何かしらの内輪ネタを挟まずにはいられない。ミームの借用から小説の引用まで内容は様々だが、背後に文脈が隠されていることを仄めかしつつ、「わかる奴」には思わせぶりな目配せをする。このような仕草は要するに「キモい」のだ。

 

 

 VTuberやなんJ民のようにあからさまでなくとも、内輪ネタから完全に逃れられている人を自分は知らない。キモくないように喋れますよって人がいたら教えてください。