しまってないしなってない

日記(2021.06.30)

 Happy Days!

 

 これほどまでに何もしなかった1ヵ月というのはおそらく大学生になってから初めてで、気持ち悪い。就活はつまらない。SPI的な論理問題が本当に苦手で、苦しくなる。こういうの得意なことを指して「地頭の良さ」と呼んでいるのだとすれば、確かに地頭厨の言うことなんてまともに受け取る必要なさそう。負け惜しみじゃないぞ。

 

 高校3年の3月だったか、学年の生徒と担任を食堂に集めて卒業懇親会が行われていた。その中で、担任の1人が「君たちは大学でたくさん失恋しなさい」と言っていたことをよく覚えている。しょーもないこと言うなあ、と当時は思っていたけれど、今ではあの言葉の意味がよく分かる……なんてことはなくて、変わらずしょーもないと思っている。結局、どういう意図で言ったのかよくわからない。挫折を経験しろってことなのだとしたら、俺はあの時点でとっくに挫折しまくっていたわけだからムカつくし、所詮は社会的に規定されたものに過ぎない「成功/挫折」の図式を、さらに性愛と結びつけようとする仕草もウザい。

 

 またしても妄想が作り上げた架空の存在と戦ってしまった。刃牙みたいだ。いや、刃牙愚地独歩は想像上の敵を決して都合のよいサンドバッグにすることなく厳しい修行に励んでいたわけだから、一緒にするのは失礼だろう。

 

 「あなたを好きな人のこと好き(になる)でしょ?」と言われた経験があり、まあ間違っていないから何も言い返せない。見透かされている。そういえば、直接話法の中で心内文や補足が括弧を使って紛れ込むのは小説でもたまに見かけるが、名称が付いていたりするのだろうか。日本語以外の言語でも似たような事は起きているのか、すこしだけ気になる。さておき、自分がナルシストであることはもはや疑いようがないから、好きな人が出来たところで結局その人の何が好きなのかよくわからなくなる。ここで言う「好き」はもちろん性愛を伴ったものに限らない、と断言したいところだが、それすら俺にはよく分からない。性欲を抱くか抱かないかのラインがすくなくとも自分には多少はっきりとあるみたいだが、普遍的で絶対的なものではない。よく「恋愛的に好き」「友人として好き」とか言いますが、結構差別的な言辞だと思う。さらに俺にとって「友人/恋人」の区分けはナンセンスですらあり、なぜなら友人も恋人も皆じぶんの映し鏡に過ぎないからだ……という自虐こそまさにナルシシズムの再構成で、どうしようもない。シスヘテロ男性のおのれが抱く性欲について、きっともう少し真面目に考える必要がある。

 

 他人のことを他人として愛したり信じられたりする人がうらやましい。「推し」とは、そういう人にだけ与えられた特権であろう。(なかには自覚のないナルシストもいる気がするけど)結局自分のところに回帰してくるマッチポンプ的な推しはもはや推しではない。だとすれば、あまりにも異質で気持ち悪く、最悪かつ理解できないと死ぬまで思い続けられるような存在こそが俺にとっての「推し」になる。そして、そんな人はどこにも存在しない。

 

 毎日毎秒、気持ち悪いと思い続けたいな!

 

 

 はい、今日のHappy Daysは終わり。お疲れ様でした。